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NO12.~重要論文~政治と思想の違い及び今世紀の課題 [政治]

NO12.~重要論文~政治と思想の違い及び今世紀の課題


本記事では反ネット右翼桜井派、反ネット左翼野間派の根拠になり得る重要論文を書こうと思い筆を進める。


また、書き進める前の段階から「思想と政治は異なるものである」という点から考察を重ねる事を決意している。



ネット右翼桜井派、ネット左翼野間派に共通して言える事は、ロクでもない思想に染まり、ロクでもない主張を繰り返し、それを政治に反映させるように動いていることにある。


運動していくうちに勢力を大きく減らしたネット右翼桜井派の残党は、日本第一党を作り、


同じく、運動していくうちに勢力を大きく減らしたネット左翼野間派の残党は、未だに民進党、共産党議員に働きかけ自分の理想の社会を実現しようとしている。



2000年代後半から現在に至る流れとよく似た事例を歴史から探そう。


感のよい人は感じ取ったであろうが、全共闘から赤軍派に至った過程とよく似ている。


(ただし、ネット右翼桜井派やネット左翼野間派には、当時の新左翼、そしてジャコバン派などのような理論武装は全く無く、反知性主義且つルサンチマンであるが。)


なぜ、同じ道を辿るのかというと、閉ざされたコミュニティの中で、他者を排斥しつつ仲間内で特異的な意見を言い合いそのため社会から孤立し、社会から孤立した集団がさらに他者を排斥しつつ特異的な意見を出す・・・このプロセスを延々と繰り返して尖端化の道を邁進したせいであろう。



このような閉ざされたコミュニティの理想が、革命なり何なりで社会に反映された時、果たしてより良い社会になるのだろうか?


国家にまで影響を与えた実例で考えると


ジャコバン派がフランス国民の幸せを実現できたのだろうか?


ポルポト派がカンボジア国民を幸せにできたのか?


ムガベがジンバブエ国民を幸せにできたのか?


この答えは敢えて言う必要もないだろう。



そう、尖端化した特異的な思想でもって民を幸せにする事は出来ないのである。


それでなくとも現在の政治とは政策論であって、思想とは相容れない存在なのである。


言い換えれば政治とは実務であり、思想とは夢想による表象に過ぎない。


思想は現実世界に即したものでなくても通用するが、政治は現実論でなければ全く通用しないのである。


blogでも、経済論、教育論を論じているが、これが政治上の思考なのである。


(もう一度断っておくが、ネット右翼桜井派、ネット左翼野間派は、当時の新左翼、ジャコバン派のような理論武装は全く無く、反知性主義且つルサンチマンなだけである。)


結論として言える事は


まともな政策論を考えれない思想家が政治を動かすとロクでもない社会にしかならないのである。




ここで終わっては味気がないので、もう一段深く考察する。


「二十五年間に希望を一つ一つ失つて、もはや行き着く先が見えてしまつたやうな今日では、その幾多の希望がいかに空疎で、いかに俗悪で、しかも希望に要したエネルギーがいかに厖大であつたかに唖然とする。これだけのエネルギーを絶望に使つてゐたら、もう少しどうにかなつてゐたのではないか。私はこれからの日本に大して希望をつなぐことができない。このまま行つたら「日本」はなくなつてしまうのではないかといふ感を日ましに深くする。日本はなくなつて、その代はりに、無機的な、からつぽな、ニュートラルな、中間色の、富裕な、抜目がない、或る経済的大国が極東の一角に残るのであらう。それでもいいと思つてゐる人たちと、私は口をきく気にもなれなくなつてゐるのである。」


(出典: 三島由紀夫「果たし得てゐない約束――私の中の二十五年」サンケイ新聞197077日夕刊)



ただ、政策論でベターを選び続ける政治では味気ない世の中になってしまう。


よって政治と思想の融合が大切であるとも私は認識している。


安倍総理の「美しい国」というのも、政治に思想を取り入れようとしたものであるのだろう。


今世紀は三島由紀夫への返答を用意できる世紀にしていきたい。


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